タゴール詩集/ギタンジャリ…神への捧げ歌
詩集 ギタンジャリ(GITANJALI)
ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)
訳:高良とみ 【訳者著作権存続中】
1
あなたは わたしを終わりのないものに お造りになりました。
それが あなたの喜びなのです。
この こわれやすい器(うつわ)を あなたはいくたびも うつろにし
また いつも新しい生命で 充(み)たされます。
この小さな葦の笛を
あなたは 丘を越え 谷を越えて はこび
いつまでも 新しい歌を
吹きならされます。
あなたの 死のない いのちのみ手にふれて
わたしの 小さなこころは
喜びのあまり 度を失い
言葉につくせぬ ねがいごとを申し上げます。
かぎりない あなたのたまものが わたしには
この小さい 二つの手にしか 受けられません。
永い時が過ぎ� ��ゆき いつまでも
あなたは そそぎこみなさるのに
なおも みたされない 片隅がのこります。
2
わたしに歌えと あなたが お命じになると
わたしの心は 誇らしさに 高鳴ります。
そしてあなたの お顔を見上げると
わたしの眼には 涙があふれます。
わたしのいのちの中の あらあらしい不調和が
一つの甘い調べの中に とけこんで
わたしのあこがれは 海をこえて 飛びたつよろこびに
鳥のようにつばさをひろげます。
わたしは知っています わたしが歌えば
あなたが よろこんで下さることを。
わたしは知っています
歌うものとしてこそ わたしはあなたのみまえに 来られることを。
わたしの 歌のつばさの
とおくひろがった そのはしは
とどこうと� �� おもいもよらなかった
あなたの みあしに ふれるのです。
うたうことの よろこびに よいしれて
わたしは われをわすれてしまいます。
そして いのちの君なる あなたを
わたしの友よと よびまつるのです。
3
わたしの師よ あなたがどんなにお歌いになるか わたしはしりません。
わたしは だまっておどろいて いつも
耳をかたむけているのです。
あなたの音楽(うた)のひかりは
この世をてらしています。
あなたの音楽(うた)の いぶきが
そらから そらへ 天かけります。
きよい あなたの 音楽(うた)のながれが
さまたげる石をこえて
さかまき ながれます。
わたしの こころは あなたの歌に
合わせたいと ねがうのですが
空しく ただ の一声も 出せません。
せめて もの言おうとしても
ことばは 歌とはならず
まごついて さけんでしまいます。
ああ師よ あなたは わたしのこころを
あなたの音楽(うた)の はてしないあみで
とりこにして おしまいになりました。
4
わたしの いのちのいのちである あなたよ。
わたしの からだを
いつも 清(きよ)くしておきましょう。
あなたの生命(いのち)のみ手が
わたしの手足の端はしに ふれることを知りましたから。
わたしの想いのなかから まことでない思いを すべてしりぞけましょう。
あなたこそ わたしの心に まことの光を ともしたもうた
真理(まこと)そのもののお方であることを 知りましたから。
わたしのこころから あらゆる罪を� ��い出して
わたしの愛を 花咲かせましょう。
わたしのこころの奥の殿堂(みや)に
あなたが み座をおきたもうことを 知りましたから。
わたしの行うことに あなたがあらわれるように わたしはつとめましょう。
わたしに おこなう力を下さるのは
あなたであることを 知りましたから。
5
あなたの おそばにすわる 一ときの いこいを下さい。
わたしの 手にあるしごとは
又あとで いたしましょう。
あなたのお顔の 見えるところから 離れては
わたしのこころには 憩(いこ)いも 休らいもなく
わたしの しごとは 岸辺のない 海の中で
終わりもなくはたらく 苦しみとなります。
きょうは 夏がわたしの窓辺へ
そのためいきと ささやきを 持ってきまし た。
蜜蜂は 花咲く森のみやで
そのうたを かなでています。
いまは しずかに すわって
あなたのお顔を まぢかにあおぎ
この静寂(しじま)に あふれる いこいに
生命をささげる歌を うたうときです。
6
この小さな花を 摘んでおもち下さい
どうぞ おくれないように。
花がしおれて 塵にかえるかとわたしは心配なのです。
あなたの髪飾りの 花環に
これを 飾っていただく 余地がなくとも、
せめて み手に摘みとられる
ほこりを わたしに おあたえ下さい。
知らぬまに 日が暮れて
献げものをする時が いってしまっては 困ります。
その花の色は 淡く
香りは よわよわしくとも
この花を あなたのお役にたつように 私につませてくださいまし
時が いってしまわないうちに。
7
わたしの歌は 飾りを捨てて しまいました。
衣装や 飾りについた誇りは もうありません。
飾りものは わたし達が 一つになることを 妨げます。
それは あなたとわたしの間に 入って
その響は あなたの囁きを 消してしまいます。
あなたのみ前に わたしの詩人(うたびと)の虚栄(ほこり)は はじらって消え去ります。
おお 大いなる詩人よ あなたの足もとに わたしはすわります。
あなたが歌を吹き給う 葦の笛のように ただ� �たしの一生を
素朴な まっすぐなものに させて下さい。
8
王子さまのような衣装や
宝石のくさりを 首につけた子供は
遊びの喜びを すっかりなくしてしまいます。
一あしごとに その衣装が 邪魔をしますから。
それがすり切れてしまったり
塵に まみれることを恐れて
子供は 世の中から 離れて
動くことさえ こわがるでしょう。
母よ 飾りの束縛は 無益です。
子供を 健やかな大地の塵から しめだして
みんなのくらしの中の すばらしいお祭りに 行くたのしみを
うばい去ってしまうのですから。
9
愚か者よ 自分の肩の上に
自分を 運ぼうとするのか!
乞食よ 自分の戸口へ
物乞いに来るのか!
何でも 背負い切れる人の肩に
お前の重 荷を すっかりゆだねて
後悔して 振り返ったり なさるな。
お前の慾が 息をかけると
ランプの灯は 消えてしまいます。
それはけがれているのです――
不浄な手で 贈りものを 受け取ってはなりません
聖(きよ)い愛から 献げられたものだけを おうけなさい。
10
ここに あなたの足台があり
あそこに あなたは足を 休めていられます
もっとも貧しいもの もっとも賤しいもの
破滅した人びとの 住んでいる所に。
あなたに 額づこうとしても
もっとも貧しいもの もっとも賤しいもの
破滅した 人びとと ともに
あなたが 足を休めている 深いところまで
わたしの お辞儀は届かない。
おごりの心は 近づけない
もっとも貧しいもの もっとも賤しい� ��の
破滅した人びとと ともに
粗末な衣(ころも)を 身につけて
あなたが あるいていられる所には
わたしの心は 道を探せない。
もっとも貧しいもの もっとも賤しいもの
破滅した人びとに まじって
あなたが友なきものの友となり
したしまれる所への道が。
11
この聖歌(うた)や 合唱や数珠の音を やめなさい。
扉を閉め切った寺の 寂しい暗い片隅に
お前は 誰を拝んでいるのか?
眼を開いてごらん! お前のまえに
神はいない。
農民が 固い土を耕すところ
道路人夫が 石を割るところ
そこに神は 居られるのだ。
神は日照りにも 雨にも 働く者と一しょに居て
そのお衣は 泥にまみれている。
お前のころもをぬいで お前も
塵だらけの 土� ��下りて来なさい。
救い手 それは どこにあるのだ?
われらの主は 喜んで はたらくものの苦労を負(せお)い
いつまでも 吾らと一しょなんだよ。
花と香を捨て お前のおいのりから 出て来なさい。
お前の衣が破れ 汚れたところで
それが どうしたというのだ
主に逢い 働き 額に汗を流し
主のみそばに 立とうではないか。
12
わたしの 旅の時は永く
その道のりは 遥かに遠い。
あさの光が さしたとき 車で出かけて
世界の荒野を 越えて
数々の星に わだちの跡を 残してきた。
自分自身に 近づく道は
一番遠い 旅路なのだ。
単純な音色を 出すためには
いちばんめんどうな 訓練(しつけ)が要るのだ。
旅人は 一つ一つ 他人の戸口を� �たき
一番終りに 自分の戸口を みつける。
あらゆる 外の世界をさまよい 最後に
一番なかの 神殿に到達する。
わたしの眼は 遠くはるかに さまよった。
そして 最後に 眼を閉じて 言った
「あなたはここに居られた!」と。
「おお どこに?」との 問いと叫びは
涙に溶けて いく千の流れとなり
「わたしは居る」という 確信の洪水となり
世界へ 逆流しはじめる。
13
わたしが 歌おうとした歌は
今日の今日まで 歌われずにいる。
わたしは 楽器の糸を 張ったり
外したりして 毎日を過した。
時は熟さず 言葉は整わない。
胸には 望むことの苦しみが あるばかりだ。
花は いまだに咲かない。
ただ風ばかりが ためいきをする。
わ� �しは まだ主の顔を見ず 主の声を聞かない。
わたしの 家のみちを歩く やさしい足音を 聞いただけだ。
床に 主の座を設けて 長い一日はくれた。
だが灯火はまだともらず 主をお招(よ)びすることができない。
主に逢いたい望みで わたしは 生きている。
だがお逢いできる日は いつのことか。
14
わたしの欲望(ねがい)は 数多く わたしの叫びは 憐れっぽい。
だが あなたはいつも つよく ことわりつづけて
わたしを 救い出して 下さったのです
この強いなさけが どこまでも
わたしの一生に 働きかけたのです。
一日一日 あなたはわたしに
わたしが 求めぬのに 下さった
単純な すばらしいたまもの――このあおぞらと光
この肉体と いのちと 心を。
あなたはわたしを それにふさわしいものとなし
過度の欲望の危険から 救い出し給うたのです。
時に わたしはもの憂く ためらい
時にわたしは 目覚めていそぎ
わたしの めあてを さがすときに
あなたは むごくも お姿を 隠されたのです。
毎日毎日 あなたはいつも わたしをこばみ
弱いあやふやな あぶない ねがいから 救い出し
あなたを 全く受入れるのに
ふさわしいものと わたしを なし給うたのです。
15
あなたを 歌に うたおうと
わたしは ここにいます。
あなたの部屋に わたしは片隅の席を もっています。
あなたの世界に わたしは
なすべきしごとを 持ちません。
役にたたない わたしの生命は めあてもない曲に
鳴りだす� ��けです。
まよなかの 暗い寺で
沈黙の 礼拝の鐘が なる時には
わが主よ み前に立って 歌えとお呼び下さい。
朝の空に こがねいろの堅琴が
音を 合わせるときには
わたしに お召しのほまれを おあたえ下さい。
16
わたしは この世のお祭りへ 招かれました。
それで わたしの生命は 生きがいが ありました。
わたしの眼は 物を見 耳は ものを聞きました。
このお祭りで わたしは
楽器をかなでるのが 役目でした。
そして できるかぎり やりました。
いまは わたしは なかにはいり
あなたのお顔を仰ぎ わたしの無言の礼拝を
ささげる時が 来たのでしょうか?
17
わたしは愛を待つばかりです
ついには その手に 身をゆだねるために� ��
それで こんなにおそくなり
こんなに 怠けてしまったのです。
人々は おきてやおしえを もって来て
わたしを しばりつけようとします。
でもわたしは いつもそれを避けます。
わたしは愛を待つばかりです。
ついには その手に 身をまかせるために。
人々はわたしを責め 考えなしだと叱ります。
あの人達が 責めるのは もっともなのです。
市の日は終り 忙しい人びとも 仕事をすっかり すませました。
無益にも わたしを呼んだ人びとは 怒って帰りました。
わたしは 愛を待つばかりです。
ついには その手に 身をゆだねるために。
18
雲は雲に重なり あたりは暗くなる。
ああ愛よ。 どうして戸の外に
わたしを一人 待たせるのか。
昼間の 仕事の忙しい時には
わたしは みんなと 一しょにいます。
けれど この暗い寂しい日に
わたしが 待ち望むのは あなたばかりです。
もしあなたが 顔を見せてくれないなら
わたしを 一人ぼっちにしておくなら
この長い雨の時を どうして
すごしたらいいのだろう。
くらい空の はるか彼方をみつめたまま
わたしのこころは歎きつつ
小やみない風と一しょに さまよい続けます。
19
あなたが話してくれないなら
わたしは心を あなたの沈黙でみたし
それに堪えましょう。
わたしは静かに待っていましょう。
星の輝く 夜が 夜を 徹して祈りをささげ
忍耐強く 頭をひくく垂れているように。
朝は必ず来ます 闇は消え
あなたの声は 金色の流れとなって
大空を渡るでしょう。
あなたの言葉は 歌の翼になって
わたしの小鳥の巣の 一つ一つから飛び立ち
あなたの歌は 花となって
わたしの森のしげみに 咲き出しましょう。
20
蓮(はちす)の花が咲いた時 ああ わたしの心は
さ迷っていて それを知らなかった。
わたしの篭は 空っぽで
花に気付きもしなかった。
ただときどき 悲しさがわたしの上に来て
わたしは 夢からふと目覚め
南風の中に妙な香りの
あまい跡を 感じた。
そのほのかな 甘さが
わたしの心をあこがれで痛めた。
それは 夏が終わろうとするための
切ない吐息とも思えた。
その時 わたしは知らなかった その花が
そんなに近くにあり
又わたしのものであることを。
この上ない� �さしさが 花開いたのは
わたしの心の底であったことを。
21
わたしは小舟を こぎ出さなければならない。
岸辺では ものうい時が過ぎて行く
ああ 神よ!
春は花を咲かせ やがて去って行った。
しおれた みのらない花を荷なって
わたしは待ち ためらっている。
波は さわぎ立ち
岸辺の 木蔭の道には
黄色い木の葉が ざわめき散る。
何といううつろを お前は眺めるのか!
あちらの岸から 流れてくる 遥かな歌の曲が
大気をふるわせている喜びを お前は感じないのか?
22
雨の七月の深い薮の中を
ひそかな歩みで あなたは歩み給う
夜のように黙(もだ)し 見張人たちの眼をさけて。
今日 声高(こわだか)い東風(こち)の声にもかかわらず
朝は その眼(まなこ)を閉じていた。
目覚めがちなあおぞらに 厚いヴェールがひかれている。
森はその声をやめ
どの家も 扉を閉めてしまった。
あなたはこの人影のない路の ただ一人の旅人だ。
おお わたしの唯ひとりの友 私の愛する者よ。
わたしの家の扉は 開いています――
夢のように 通り過ぎないで下さい。
23
あなたはこの嵐の夜に 出向かれるのか?
友よ あなたの愛の旅路に。
空は絶望したように うめいている。
こよい わたしに眠りはない。
またしても 戸を開けて 友よ
わたしは暗がりの中を さがしてみる。
わたしの前に 何も見えない。
あなたの道は どこにあるのか。
墨のように 黒い川の 境のない岸辺
眉寄せる森の 遥かな 端に沿って
薄暗い迷い路の 深さをこえて 友よ
あなたは わたしへの道を辿ってこられるのか?
24
義理の母になる方法
この日が終り 鳥は歌わず
風は疲れて はためきを止めたら
闇の幕を わたしの上に 厚く垂れて下さい。
大地を 眠りのふとんにくるみ
夕暮れには 蓮のねむたげな花びらを
やさしく閉じてやるように。
旅路の終らぬうちに 食べものの袋が空になり、
衣は破れはてて ほこりで重く
歩く力も つきはてたこの旅人から
恥辱(はじ)と貧しさを取りのけて
やさしい夜の 被いの下の花のように
この生命を 新たに甦らせて下さい。
25
つかれはてた夜には
わたしの信頼を あなたにまかせて
逆らわずに ぐっすり眠らせて下さい。
あなたへの 礼拝の 貧しいしたくのために
わたしの弱り切った心を
引き� ��り出させないで下さい。
一日の疲れた眼の上に 夜のとばりをおろし
目覚める時の すがすがしい喜びに
もの見るちからを 新しくしてくださるのは
それは あなたなのですから。
26
彼は来て わたしのそばに坐ったのに
わたしは 目が覚めなかった。
何と呪われた 眠りだったことか。
おお あわれなわたし!
夜の静かなとき 彼は来た
その手に竪琴を持って。
そしてわたしの夢は その旋律に
共鳴りしたのだったのに。
ああ 何故このように わたしの夜々は
失われてしまうのだろう。
ああ なぜわたしの眠りに息吹(いぶき)のふれた 彼の姿を
見失ってしまうのだろう?
27
光りよ おお 光りはどこだろう。
熱望の燃える火で灯をつけよう!
� �ンプはあるけれども 焔のゆらぎはない。
わたしの心よ、それがお前の運命なのだ!
ああ お前には死の方が はるかにましなのに!
苦難が お前の扉を叩いて告げる
お前の主は 目覚めて居られ
夜の闇に お前を愛の出会いに呼んでいると。
空は雲が低く垂れ 雨は小やみもない。
わたしの身内に揺れ動くものを わたしはしらない。
それは何なのか――その意味は何なのか?
稲妻の 一瞬のひらめきが
わたしの視野に 一層暗いものを引き下ろし
夜の音楽が わたしを呼んでいる方へと
わたしの心は 道を求める。
光りよ おお 光りはどこだろう!
熱望の燃える火で 灯をつけよう!
雷鳴はとどろき 風は叫んで 虚空を駆け
夜は暗く 黒曜石のようだ。
暗闇の� ��で 時を空しく すごさせてはならない
お前の生命(いのち)で愛のランプに灯をつけよ。
28
束縛は 強い。
破ろうとすると 心は痛む。
自由こそ わたしの望みのすべてなのだ。
けれども それを望むのは 恥ずかしい。
私は信ずる あなたには値ぶみできないほどの 宝があり
あなたはわたしの 最上の友であられることを。
でも わたしの部屋に充ちた虚飾を
掃き捨てる勇気を わたしは持たない。
わたしを包む衣は 塵と死の衣だ
わたしはそれを憎み しかも愛して抱きしめる。
わたしの負債(おいめ)は大きく わたしの失敗(しくじり)はおびただしい。
わたしの恥辱(はじ)は ひみつで重苦しい。
しかもわたしが 善いことを願いにくるときには
ひょっと 祈りが 聞きとどけられはしないかとおそれて
わたしの身は震える。
29
わたしの名前で 閉じこめられた彼は
この地下牢で 泣いている。
わたしはまわりに 壁を築くのに いつもいそがしい。
この壁が 日ごとに空にまでのびて行き
わたしは その暗い蔭の中に
わたしの本性を 見失う。
この大壁を わたしは誇りとし
ほんの小さな 穴ひとつでも
この名前のために 残してはいけないと
塵と砂とで ぬりかためる。
そうして わたしが気をつかうので
わたしは わたしの本性を見失う。
30
逢う瀬を楽しみに わたしは一人で やって来た
誰だろう 暗いしじまに わたしの後を つけるのは。
彼を避けようと 道をよけるが
どうしても のがれることが出来� ��い。
彼は威張って歩き 土ぼこりを立てる
わたしの一語一語に 彼は大声で つけくわえる。
主よ 彼はわたしの小さな自分です 恥しらずです。
わたしは あなたの戸口に 彼と一しょに来るのは 恥ずかしいのです。
31
「とらわれの人よ 誰がお前をしばったのか。」
「わが主です」囚人は答えた
「わたしは富と権力(ちから)では 世界中で
誰にも負けないと思っていました。
そして 主に返すはずの財宝(たから)を
わたしの金庫に 貯えました。
ねむりに とらえられて わたしは
主の寝床に 眠りました。
そして目が覚めてみたら わたしは
自分の金庫の中の 囚人になっていました。」
「とらわれ人よ 誰が このこわれない鎖を 作ったのか。」
「わ� ��し自身なんですよ」囚人は答えた。
「わたしが この鎖を 注意ぶかく作ったのです。
わたしは わたしだけ自由でいて
わたしの 無敵な権力(ちから)をもって
世界を とりこに出来ると思いました。
夜ひる休みなく 巨大な炉と 非情な打撃で
鎖を作りあげました。
やっと仕事がすんで 鎖が完全で頑丈に出来上ったら
鎖の環に とらえられていたのは 自分でした。」
32
この世で わたしを愛する人々は
あらゆる方法(てだて)で わたしをしっかり つかまえておこうとする。
それより強い あなたの愛は そうはしないで
わたしを 自由なままに しておいて下さる。
わたしが 忘れるかと案じて
その人たちは わたしのそばを離れない。
けれど 一日一日と過ぎ� ��行っても
あなたのお姿は見られない。
わたしの祈りに あなたを呼ばず
わたしの心に あなたをとどめなくとも
わたしを愛するあなたの心は
いつも わたしの愛を 待っていて下さる。
33
昼間 その人達は家に来て 言った。
「一番小さな部屋を ちょっと借ります。」
その人達はいった
「あなたの礼拝を お手伝いしましょう。そして神の恵みを
自分の分け前だけ 頂戴します。」
そして静かに おとなしく 片隅に坐った。
けれど夜になり 暗くなると
その人達は 強く荒々しく 聖所に入ってきて
神の祭壇の ささげものを
けがれた慾で 盗んでゆくのだ。
34
私のものは 何も残さないで下さい
あなたこそ わたしのすべてだと 言えるように。
� �の意志は 少しも残さないで下さい
あらゆるところにあなたを 感じ得ますように。
そして ことごとに あなたに来て 常にあなたに 愛をささげ得ますように。
私のものは 何も残さないで下さい
あなたを 決して 被いかくさないように。
私をしばるものは 少しも残さないで下さい。
あなたの 御心のままに 結ばれ
あなたのおこころざしが 私の一生に 果されますように。
それは あなたの 愛の束縛ですから。
35
心が恐れを知らず 頭が高く支えられているところ
智識が 自由であるところ
世界が せまい家という壁で 分離されていないところ
言葉が 真理の深みから出て来るところ
疲れを知らないはげみが 完成へと 腕をさし伸ばすところ
理性の清い流れ� � 死滅した習慣の荒れた砂漠の中へ 道を失わないところ
心がいつまでも拡がる思想と 行動へと
あなたによって みちびかれるところ――
そういう自由の天国に わが父よ
わが国を 目覚めさせて下さい。
36
あなたへの私の祈りはこれです 主よ――
打って 打って 私の心の貧しさの根を 打ちすえて下さい。
喜びと悲しみを 軽がると になえる力を 与えて下さい。
私の愛を 奉仕の中に みのらせる力を 与えて下さい。
決して 貧しい人と離れず
傲慢な権力の前に 決して膝を曲げない力を 与えて下さい。
私の心を 日常の こまごました苦労にも
超然と高く保つ力を 与えて下さい。そして
あなたのみ心に 私の心を 喜んでささげる力を 与えてください。
37
私の力の 最後の限界まできて
私の旅路は 終りにきたと思いました
私の前途は 閉ざされて
貯えは つかいはたし
暗い 沈黙の中へ 避難する時が 来たと思いました。
けれども あなたのみ心には 私の終りはなくて
古い言葉が 舌に尽きると
心の底から 新しい音楽が 沸きおこり
古い道が消えると 驚くばかりに新しい国が あらわれてくるのを知りました。
38
あなたをほしい あなただけを――
私の心が はてしなく
そう繰り返すのを お許し下さい。
日に夜に 私を奪う もろもろの願いは
その芯の芯まで 偽(いつわ)りで虚(むな)しいものです。
光へのねがいを
夜が 闇の中に かくしているように
私の無意識の奥底にかくれて
鳴り響いている 叫びがある――
あなたをほしい あなただけをと。
嵐がちからの限り 静けさにぶつかって
なおも 静けさの中に 終りを求めるように
私の反逆は あなたの愛に抗(あらが)って
なお一つの叫びをあげる――
あなたをほしい あなただけをと。
39
心が堅く 乾き切っているときは わたくしに
あわれみの夕立を もっておいでください。
くらしから やさしさが無くなった時は
わき流れる歌をもって おいでください。
やかましい仕事が 四方から わたしを圧倒するときは
沈黙の主よ あなたの平和と憩いをもって おいでください。
わたしの乞食が 私の片隅に 座りこむときは
わたしの王よ 扉を破り
帝王の儀礼をもって おいでください。
欲望が 妄想と� �こりで 心を曇らせるときは
おお 聖なる 眠り給わぬ主よ
光と 雷(かみなり)をもって おいでください。
40
わたしの干上がった心に わが神よ
雨は 幾日も幾日も 降りません
地平線のはてまで 丸裸で
柔らげる雲の 薄い被いも ありません
遠くの涼しい夕立の かすかな気はいもありません。
あなたの怒りの 嵐をお送り下さい
もし み心ならば 死の闇をもって
また 雷の笞をもって
端から端まで 空を驚かせて下さい。
けれど 呼び返して下さい わが主よ
静かで 鋭く 残酷に
恐ろしい絶望で 心を燃やしつくす
このみなぎる 沈黙の熱さを。
父親の怒った日に
母の涙に充ちた まなざしのように
天より 恩寵(めぐみ)の雲を 低く垂れて下さ い。
41
人々のうしろに すっかりかくれて 愛するものよ
どこの蔭に あなたは立って 居られるのですか?
人々は 塵だらけの路上に あなたを押しのけ
そばを通り過ぎて あなたを無視している。
私は あなたへの ささげものを拡げ
ここに 疲れた時を 待ちくらす。
路を行く人は 一つづつ 私の花をとり
私の篭は 殆んど 空(から)に近い。
朝は過ぎ 昼はゆく。夕べのかげに包まれると
わたしの眼は 眠りへと 誘われる。
家路につく人は 私を横目で見て笑い
私の心を 恥かしさで充たす。
私は もの乞い娘のように坐り
裳裾を引いて顔をかくす。
人々がほしいものは何かと訊ねても
私は眼を落して 答えない。
おお 何で私が語り得よう あなたを 待っているのだと
あなたは きっと来ると 約束されたと。
何で 私が恥ずかしくもなく 言われよう
私は この貧しさを 結納(ゆいのう)として持っていると。
ああ 私はこの誇りを
胸の秘密の中に 抱きしめる。
草に坐り 空をみつめ 私は
突然あなたの現われる 栄光を夢見る――
灯という灯が 輝やきわたり
こがね色の三角旗が お車の上にはためき
人々は 道ばたに眼をみはって 立ち並び
あなたが お車から降りて来て
私を塵の中から 立ち上らせ
夏の微風の中の 蔓草(つるくさ)のように
恥かしさと 誇らしさに ふるえている
このぼろぼろのもの乞い娘を
あなたのおそばに おき給うのを。
だが 時は流れ まだ
あなたの お車の音はしない。
� ��々の行列が 騒音と叫びと
栄誉のまぶしさに包まれて 通り過ぎる。
人々のうしろの 沈黙の蔭に すっかりかくれて
立っているのは あなただけなのか。
空しい望に 心を疲れさせ 涙を流して
待っているのは 私だけなのか。
42
朝早く 囁き声がした――
私たちは 小舟で出かけよう あなたと私だけで。
そして世界中の 誰一人も知るまい。
めあての国もなく 終りもない
この私達の巡礼を。
あの岸辺のない 大洋で
あなたが 黙って耳傾けて 微笑まれると、
わたしの歌は 浪のように 自由な
言葉の束縛から 全く自由な
美しい旋律に 盛り上がるでしょう。
その時は まだ来ないのか。
まだ しなければならない 仕事があるのか。
ご覧 岸辺には� �べが訪れ、
薄れ行く先に 海の鳥は
ねぐらに向って 帰ってきた。
いつになれば 鎖がとれ
小舟は 沈む陽の 最後の輝きのように
夜の中に 消え去るのか
一体 誰が知ろう。
43
わたしが あなたをむかえる用意を してなかったとき
あなたは 人々の群の一人のように お告げもなく
わたしの心に いつのまにかお入りになり
わが王よ
私の生活の すぎゆく瞬間瞬間(ときどき)に
あなたは 永遠の印(しるし)を 押されました。
そして今日 たまたまそれらに 灯りをつけ
あなたの印を みつけました。
それは私の とるに足りない忘れられた日々の
喜びと 悲しみの 記憶とまざり合い
塵にまみれて 散らかっていました。
私の塵の中の 子供らしい遊� ��を
あなたは いやしめられませんでした。
私の遊び場で 聞いた足音は
星から星へ こだましている
あの音と 同じ音なのです。
44
影が光を 追いかけるのをみつめ
夏のあとには 雨が来るのを
みちばたで こうして待っているのは
わたしの 言い知れない 歓びなのです
未知の大空から 便りを持ってくる 使者たちが
わたしに 挨拶して いそぎ足に 路を通って行く。
私の心の中は 喜びに充ち
過ぎ行く そよ風のいぶきは やさしい。
あけぼのから 夕ぐれまで わたしは
戸口の前に 坐っている。
すると 突然 幸福な瞬間が やってきて
私は 会えるにちがいない。
その間 わたしは たった一人で
ほほ笑み 歌をうたっている。
すると空気は � �束の香りで
みちみちてくる。
45
あの方の 静かな足音を
あなたは 聞きませんでしたか。
あの方は いつでも いつでも やって来るのです。
どの瞬間にも どんな時にも
昼といわず 夜といわず
あの方はいつでも いつでもやって来るのです。
わたしは 数々の歌を さまざまの気分で 歌いました。
だが その歌は いつも こううたったのです。
「あの方はいつでも いつでもやって来ます。」
陽の輝く四月の香ぐわしい日に
森の 小さな径を 通って
あの方はいつでも いつでもやって来ます。
雨に うっとうしい六月の夜に
雷鳴轟く 雲の車に乗って
あの方はいつでも いつでもやって来ます。
悲しみにつぐ 悲しみの中で
わたしの心に迫るのは あの方の足音です。
そして わたしの歓びを 光り輝かせるのは
あの方の 金色の感触のためです。
46
どんな遥かな永劫から あなたは
わたしに 近づいてこられたのか
わたしは知りません。
あなたの太陽や 星は
とこしえに あなたを私の目から
かくしておくことは できません。
朝な夕なに いくたびも あなたの足音が聞こえ
あなたの使者は私の心の中にやってきて
ひそかに 私を呼びました。
なぜ今日は 私の生命がざわめき
わななく喜びが 私の心をつらぬくのか
わたしには分かりません。
私の仕事を 終るときが 来たようです。
あなたの存在の 幽かな匂いが
大気の中に感ぜられます。
47
あの方を 待ちわびて 夜はむなしく すぎよう� �している。
朝 疲れ果てて 眠りこんでしまったとき
突然 私の戸口に
あの方が来られたら どうしよう。
おお 友よ あの方の入る道を あけておいてください――
あの方を 妨げないでください。
あの方の足音が 私を醒まさなくても
どうか 私を起こさないでください。
小鳥のかまびすしい合唱で
朝の光の まつりの風の さざめきで
私は眠りから 呼び起こされたくないのです。
若しあの方が 突然私の戸口に来られても
私をそっと 眠らせておいてください。
なぜ人間は点滅しません
ああ わたしの眠り 尊い眠り
あの方の み手の一触れで 目醒める眠り。
ああ 私の閉じた眼は
眠りの暗さから 出てきた夢のように
あの方が わたしのまえに 立たれるとき
ほほえみの光にのみ 瞼を開くだろう。
あらゆる光 あらゆる形の 最初のもののように
わたしのまえに あの方を 現してください。
わたしの目覚めた魂の 最初の喜びは
あの方の まなざしから 来させて下さい。
目覚めて 自分に立ちかえることは
そのままあの方に 帰ることであらしめて下さい。
48
沈黙の 朝の海が
小鳥の歌の さざ波に変わった。
草花は 道ばたに 楽しそうだった。
豊かな金色が 雲の切れ目から 一ぱい撒かれた。
だが わたしたちは 忙がしく道をあるき
なにも 心に とめなかった。
わたしたちは 喜びの歌もうたわず 遊びもしなかった。
村に 取引にも 行かなかった。
一言も語らず 微笑みもしなかった。
道に とどまることも なかった。
私達は 時が過ぎ行くにつれ
だんだんと 足をはやめた。
陽は 中天にのぼり
鳩は木蔭で クウクウ鳴いていた。
枯れた木の葉は 舞い上り
真昼の 暑い空気に くるくる廻った。
牧童たちは うたたねをし
バンヤンの木蔭に 夢を見ていた。
私は水のほとりに坐って
草の上に 疲れた手足を 伸ばした。
わたしの ともだちは わたしを 嘲けり笑った。
その人たちは 尊大な風をして 急ぎ去った。
ふり� �りもせず 休みもしなかった。
彼等は 遠い遥かな藍色のもやに消え去った。
いくつもの牧場と 丘を越えて 遠い みしらぬ国々を 経めぐった。
あらゆる栄光が 君達にあれ!
果てしない道を行く 雄々しい人々よ!
嘲りと非難が 私を突き刺し 立たせようとしたが
わたしの中には 何の反応もなかった。
わたしは 恥の深みの よろこびに 身を投げた――
歓喜の かすかな蔭のなかに。
太陽が縫いとりした 緑の幽暗の憩いが
そろそろと 私の心の上に 拡がった。
私は なぜ旅をしていたのか 忘れた。
そして私の心を 影の不思議さと歌のなかに 入るにまかせた。
やっと 眠りから覚めて 眼を開いた時
あなたが 私の傍らに立ち
あなたの微笑みを私の眠りに溢� �させているのを見た。
道は遠く 疲れ果て
あなたに 到る苦闘の きびしさを
どんなに わたしは惧れていたか しれないのに。
49
あなたは み座から降りてきて
私の 小屋の戸口に立たれました。
私はたった一人 片隅で歌っていました。
その歌が あなたの耳を とらえました。
あなたは 降りてきて
私の 小屋の戸口に 佇まれた。
あなたの み堂に 名人は多いし
歌は たえまなく 歌われています。
けれど この新参者の 素朴な歌が
あなたの 愛を打ちました。
一つの哀れな 小さい唄が
世界の 偉大な音楽と 一つになりました。
あなたは 褒美にと一つの花を 持って
降りてきて
私の 小屋の戸口に たちどまられました。
50
私は戸口か� �� 戸口へと 村の小路を
物乞いをして歩いていた。
その時 あなたの黄金の車が
すばらしい夢のように はるかとおくに あらわれた。
すべての 王のうちの 王であるお方は
どなたなのかと わたしはいぶかった。
わたしの望みは 高まり
わたしの 不運の日々は
終ろうとしていると 思った。
求めなくとも 与えられる施しと
ほこりの中の 四方に ばらまかれる宝を まちながら
わたしはそこに 立っていた。
車は 私の立っている所に 止った。
あなたの眼ざしはわたしの上にそそがれ
あなたは ほほえみながら 降りてこられた
私は一生の幸福がついにやって来たと感じた
そのとき不意に あなたは 右の手を出され
「私にくれるものは なにか」といわれた。
ああ! 乞食に 物乞いの手を だされるとは
何と 王様らしい たわむれだろう!
わたしは 当惑して 心を決めかねて 立っていたが
やがて わたしの合財袋から そろそろと
とうもろこしの 一番小さい袋を出して
あなたに それを差し上げた。
その日の終りになって 袋を床にあけたとき
貧しい もらいもののなかに ほんの小さな金の粒を みつけたとき
わたしの驚きは なんと大きかったことか
わたしは 悲しく泣きむせんだ
すべてを あなたにさし上げる
心根を持っていたら よかったのにと 歎きかなしんだ。
51
夜がきて 暗くなり 一日の仕事は 終った。
今夜の 最後の客も 着いたと思い
村の家々は 戸を閉めた。
誰かがいった「王様が来る筈だ� �」
私達は 笑っていった
「そんなことがあるものか!」
戸を叩く音が するようだったが
あれは風だろう と私達はいった。
灯りを消して 私達は寝ようとした。
誰かがいった「使者だ。」
私達は笑っていった
「いいや あれは風さ!」
夜のしじまに 音がした。
私達はねむい頭で あれは遠い雷だと思った。
大地は震え 壁は揺れ 私達の眠りは 妨げられた。
誰かがいった「車輪の音だ。」
私達は 眠そうなつぶやきでいった
「いいや あれは雲の中の響さ。」
夜はまだ暗く 太鼓が鳴り響いた。
声が聞えた「起きろ! 遅れるな!」
私達は心臓に手を置き 恐れふるえた。
誰かがいった「見ろ 王様の旗だ!」
私達は 立上って叫んだ
「ぐずぐずしている� ��はないぞ!」
王は来た――だが灯りは 花環はどこにある?
お坐りになる 玉座はどこにある?
ああ恥かしい 全く恥かしい!
宮殿はどこにある。装飾は?
誰かがいった「叫んでも無駄だ!
空手でお出迎えし 飾りのないお前の部屋に お通ししろ!」
扉を開け 法螺貝を吹きならせ!
夜のさなかに 吾等の闇の王は 荒れはてた家に 来給うた。
雷は空に轟(とどろ)き 闇は雷光(いなづま)に 打ち震えた。
ぼろぼろの敷物を 庭に拡げろ
嵐と共に 恐ろしい夜の王は
突如として 訪れたのだ。
52
あなたの首にかけられた バラの花環を
頂きたいと思いながら――然し私にはいえなかった。
そのままに あなたの去られる朝を待った
幾片かの 花びらが床の上に � �っているだろうと思って。
私は乞食のように 暁に
はぐれた一片二片を探した。
ああ だけど私が見つけたのは 何だったろう。
あなたの愛の どんな印だったろう。
花ではない 香でもない 香り高い水がめでもない。
それは焔のように閃き 雷鳴のように重い
あなたの いかめしい劔であった!
朝の若々しい光が 窓から入って来て
あなたの床の上に 拡がる。
朝の小鳥は ささやき 訊ねる
「女よ 何を見つけたの?」
いや それは花ではない 香でもない
香り高い水がめでもない。――それは
あなたの恐ろしい劔だ。
私は坐り 驚きの中に 想いに沈む。
これは また何という あなたの贈物か
私は これをかくす所を 見つけられない。
弱い私は これを着けるのは 恥かしい
胸に抱けば 私を傷つけよう。
だが あなたの贈物 苦しみの重荷を � �う光栄を
私は心に しっかり抱こう。
これからは 私にとって
恐れは この世に存在しないだろう。
あなたは 私のあらゆる たたかいに
勝利を得るだろう。
あなたは死を 私の友として残された。
私は死に 私のいのちの冠を 与えよう。
あなたの劔は 私をはなれず
私の束縛を 断ち切るためのものだ。
私には もうこの世に 恐れはないだろう。
これからは ちいさな飾りものを
すっかり捨て去ろう。
私の心の主よ もはや私には
片隅で待ち望み 泣くようなことはありません。
はにかみや 優しいふるまいはありません。
あなたは あなたの劔を飾りとして下さいました。
人形のかざりは もはや私にはありません。
53
あなたの腕環は 麗しい。星に飾ら れ
百々千々(ももちぢ)の彩りの宝石を 巧みにちりばめられて。
けれど私には あなたの劔が 更に美しい。
ヴィシュヌの 聖鳥(とり)の拡げた翼のような 雷光の曲線を持ち
落日の赫い光の 怒りの中に 全き平静を保って。
それは震えている――死の最後の打撃の
苦悩の陶酔境で
生命の終局のなかでの 応えのように。
それは輝く――地上の感覚が 灼きつくされる
浄めの火の 鋭い閃きのように。
あなたの腕環は 麗わしい
星の宝石に 飾られて。
けれどあなたの劔は――おお 雷(いかづち)の神よ
最上の美しさで作り出され
見るにも 考えるにも 恐ろしいほど美しい。
54
私はあなたに 何も求めなかった。
あなたの耳に 私の名を告げなかった。
あ� ��たが 立ち去られた時
私は黙って 立っていた。
木の影が 斜に落ち
茶色の土のかめに 一ぱい水を汲んで
女達が 家に帰って行った 泉のほとりに
私は ただ一人 立っていた。
女達は 私を呼んで叫んだ
「一緒に行きましょうよ もうお昼よ。」
だが 私はぼんやりと 思いにふけり
しばらく 力なく たたずんでいた。
あなたが 来られたとき 私は足音を 聞かなかった。
あなたの眼が 私の上に 落ちたとき
それは 悲しそうだった。
あなたの低い声が「ああ 私は渇いた旅人です」と云ったとき
その声は 疲れていた。
私は真昼の夢から 驚きさめて
あなたの 合掌された み手に
私のかめから 水を注いだ。
木の葉は 頭上に さらさら音をたて
郭公� ��何処ともない暗がりから歌い
バブラ(1)の花の香りは
道の曲り角から 流れて来た。
あなたが 私の名を 訊ねられたとき
私は恥かしさに 言葉もなく 立っていた。
ほんとうに 私はあなたに
私の名を 覚えていただくような 何をしたろう。
それなのに あなたの渇きを医そうと
水をさし上げた記憶が 心から離れず
私の胸を やさしさで 包んでしまう。
いつのまにか 昼も近くなり
小鳥らは 疲れた声で歌い
楡(にれ)の葉は 頭上にさらさらと鳴り
私は座ったまま
思いの中に 沈んで行く。
(1)バブラの花。アラビヤアカシヤ。豆科でアラビアゴムの木と呼ぶ。香り高い花を沢山つける。
55
お前の心の上に
倦怠が おおいかぶさり
お前の 瞼の上� ��はまだ
眠りが 去ろうとはしない。
花は 荊棘(いばら)のあいだに咲きほこるという
あの言葉は お前には 来なかったのか。
目覚めよ おお 目を醒ませ。
空しく 時を過すな。
石の道のはての 汚れのない孤独の国に
私の友は 唯一人座って居る。
あの人を あざむいてはいけない。
目覚めよ おお 目を覚ませ。
真昼の太陽の熱さに
大空が喘ぎ うち震え――
燃える砂が 渇きの天幕を
大きくうち拡げたら どうするのか?
お前の 心の奥底に
喜びはないのか。
お前の一歩一歩に 道は竪琴となり
苦みのなかにある やさしい音楽を奏でないのか。
56
このように あなたの歓喜(よろこび)が
わたしのなかに 充ちています。
このように あな たは
わたしにまで くだり給うたのです。
おお あらゆる天の君なる主よ
私が もしも いなかったら あなたの愛は どこにあるのでしょうか。
あなたは この私を
この豊かな宝の 相手に選ばれました。
私の心の中には あなたの歓喜(よろこび)の
終りを知らない 遊びがあるのです。
私のいのちの中に あなたの意志が
いつも 形をとって 現れるのです。
このために 王の中の王たる あなたは
私の心を とりこにされようと
美しく身を飾ります。
このために あなたの愛は
愛し合う人々の 愛の中に入りこみ
二つの魂の 全き結合の中に 現れ給うのです。
57
光よ 私の光よ 世界に充ちわたる光よ
眼に口づけし 心をやわらげる光よ。
ああ 光は踊� �� 私の愛するものよ
私の生命の真中で。
光は奏でる 私の愛するものよ
私の愛の旋律を。
空は開け 風は気ままに走り
笑いは 大地の上を 過ぎて行く。
蝶は 光の海に 帆をかかげ
百合と茉莉花は 光の波頭に 揺れ動く。
光は 雲の一つ一つに 金色に砕け
愛するものよ 光は宝石を ふんだんに まき散らす。
愉(たの)しさが 葉から葉へ 拡がり
愛するものよ 歓喜(よろこび)は 測り知れない。
天の川が その岸を おぼれさせ
喜びの洪水が 一面に 拡がっている。
58
歓びのあらゆる調子を 私の最後の歌に 混ぜ合わせよう――
草をゆたかに 大地の上に あふれ出させる歓びを
生と死の 双児の兄弟を 広い世界に 躍らせる歓びを。
笑いで� �あらゆる生命を 震わせ 目覚めさせながら
嵐と一しょに やってくる歓びと
苦しみに 開いた紅の蓮の上に 涙を浮かべて 静かに 休らう歓びを。
そして あらゆるもちものを塵に捨てて しかも言葉に いいがたい歓びを。
59
そうです 私はよく知っています すべてあなたの愛に ほかならぬことを
心から愛するものよ
草の葉の上に踊る この金色の光も
大空に 帆をかけて行く ものうげな雲も
わたしの額のうえに 涼しさを残してゆく このそよ風も。
朝の光が 私の眼に 溢れている――
これが あなたの私の心への ことづてです。
あなたのお顔は 高いかなたから 私のうえに くだり
あなたの瞳は 私の眼を 見下ろしていられる
私のまごころは あなたのみ足 に 触れました。
60
はてしもない 世界の海辺に 子供たちが あつまっている。
無限の大空は 頭の上でうごかず
水はやすみなく みだれ さわいでいる。
はてしもない 世界の海辺に 子供たちは あつまり さけび おどっている。
子供たちは 砂で家をたて からっぽの貝がらで あそぶ。
枯れた木の葉で 小舟をつくり わらいながら 海にうかべる。
子供たちは 世界の海辺を あそび場にする。
子供たちは 泳ぎもしらず 網をうって 魚をとるわざもしらない。
真珠とりは 真珠をとりに 水にもぐり
あきんどたちは 船を走らせているのに
子供たちは 小石をあつめては またちらし
かくれた宝を さがそうともせず 網をうつ わざもしらない。
海は笑いごえ を立てて もりあがり 磯のほほえみは 青白く光る。
死をあきなう波も こどもたちには 意味のない小唄をうたい
まるでゆりかごをあやす 母のように
海は子供たちと たわむれて 磯のほほえみは ほの白く光る。
はてしもない 世界の海辺に 子供たちは あつまっている。
嵐は 道もない大空に ほえたけり 船は みちすじのない海でくだけ
いたるところに 死があるのに 子供たちは あそぶ。
はてしもない 世界の海辺に 子供たちの 大きなあつまりがある。
61
あかちゃんの まぶたをかすめるねむり――
いったい それはどこからくるのか知っている?
ええ 蛍におぼろにてらされた 森かげの仙女の村に すみ家があって
二つのはにかみやの魔法のつぼみがたれさが� �ているといううわさですよ――
そこから眠りが あかちゃんのまぶたに くちづけをしに
くるということですよ。
あかちゃんが 眠るとき くちびるに ほころぶほほえみ――
いったい それはどこで うまれたか知っている?
ええ 青白い若いお月さまの光が 消えてゆく 秋の雲のはしに ふれたとき
つゆに洗われた朝の夢のなかに ほほえみは はじめて生れたという噂ですよ
あかちゃんが 眠るとき くちびるに ほころびる ほほえみは。
あかちゃんの 手足に におう あまい やわらかな みずみずしさ――
いったい それが そんなに永く どこにかくされていたのか 知っている?
ええ おかあさまが うら若い 乙女だったころ
やさしい 沈黙(しじま)の愛の 神秘の中に� �それは沈みこんでいたのです
あかちゃんの手足に においだす 甘いやわらかな みずみずしさは。
62
おまえに きれいな色のおもちゃをもってくるとき ねえ坊や
そのときわたしは わかります
どうして 雲や水には色のあそびがあり
なぜ花は きれいな色に そめられているのか
ねえ坊や おまえにきれいな色の おもちゃをもってくるとき。
ビクトリア女王は誰と結婚しました
歌をうたって おまえをおどらせるとき そのときほんとに わかります
どうして木の葉に音楽があり どうして波は 大地のむねに
さざめく合唱を送るのか
歌をうたって おまえをおどらせるとき
おまえの何かほしがるお手々に 甘いものをあげるとき そのときわかります
どうして花の芯に蜜があり どうしてくだものは
こっそりと甘い汁をかくしているのか
おまえの 何かほしがるお手々に 甘いものをあげるとき。
おまえの かおに口づけして にっこりさせるとき ねえ坊や
なんと朝の光の中に よろこびが 空からながれて来
また夏のそよ風は 何と喜びを わたしのからだに もってくるのか――
ほん� ��に そのときわかります――おまえを にこにこさせようと
わたしが口づけするときに。
63
あなたは わたしの知らなかった友達に
わたしを 知り合いにして下さいました。
あなたは 私の家でない所に
わたしの席をもうけて下さいました。
あなたは 遠いものを近づけて
見知らぬ人を 兄弟になさいました。
住みなれた かくれ家を 離れるとき
わたしの心は 不安です。
新しいものには 古いものがのこっていることを 私はわすれ
またそこには あなたが居られることを 忘れているのです。
誕生と 死とを越え
この世でも またあの世でも
あなたのみちびきが 何処であろうと
わたしの心を 未知の人々へ 喜んで結びつけるのはあなたです。――
わたしの終り のない生命の 唯一人の友
いつも変わらぬ あなたなのです。
あなたを知るとき 未知の人はなくなり
閉ざされた扉は なくなります。
おお わたしが多くの人びとの 劇の中で
たった一人に 触れるしあわせを
決して 見失うことのないように
わたしの祈りを ききいれてください。
64
荒れはてた河の土堤の 丈高い草の中で
わたしは尋ねた 「娘さん 外套で灯を蔽って
どこへ行くの。わたしの家は暗く寂しい。――
その灯をかしておくれよ!」
娘は黒い瞳を 一瞬あげて
暗やみを すかして わたしの顔を見た。
そして言った 「私が河に来たのはね
お日様が 西に沈んだら 川にこの灯を浮かべるためなの。」
丈高い草の中に 私は一人立ち、
その弱々しい焔� � 空しく流れ漂うのを見ていた。
夜の 深まる静寂の中で 私は尋ねた
「娘さん あなたの灯は みんなともされました
それであなたはどこに 灯を持って行くの。
私の家は暗く寂しい――灯をかしてくれないかね。」
娘は黒い瞳をあげて 私の顔を見
疑わしげに 一瞬立ち止った。
そして言った 「私が来たのは
お空に わたしの灯を ささげるためなの。」
私はぼんやり立ちつくし
その灯が 空しく空に 燃えるのを見ていた。
真夜中の 月のない暗がりの中に
私は尋ねた 「娘さん 胸のあたりに 灯を持って
何を求めているの。私の家は暗く寂しい。――
その灯をかしておくれよ。」
娘は一瞬立ち止って考え、
闇の中で私の顔をじっとみつめた
そして言った 「私が� �を持って来たのはね
灯のお祭りに 加わるためなの。」
私は立ちつくし その灯が
ほかの灯の中に 空しく失われるのを見ていた。
65
私のいのちの 溢れる盃から 私の神様
どんな聖い酒を あなたはお望みですか?
詩人である私の神様 私の眼を通して
あなたの創造物をごらんになり
私の耳の戸口に 立ってあなたの永遠の調べを
聞かれるのは
それはあなたの 喜びなのでしょうか?
あなたの世界は 私の心の中で 言葉を織りなし
あなたの喜びは 言葉に音楽を 添えます
愛の中で あなたは御自身を私に与え
あなた御自身の やさしさすべてを
私の中に 感じて居られるのです。
66
私の存在の 奥深くの
ほの明るい微光の中に 住んでいた彼女は
暁の� ��に ヴェールをといたことのない彼女は
私の最後の唄に包まれて 私の神様
あなたへの 最後の捧げ物となりましょう。
言葉で求愛しても彼女を 得ることは出来ず
さそいが 熱心に腕をさし伸ばしたが 無駄だった。
心の奥に 彼女を抱いて 私は国から国へと さすらい
彼女のまわりに 私の生涯の
浮き沈みがあった。
私の思いと行いを 私の眠りと夢を
彼女は心配した けれど一人離れて住んでいた。
多くの人が 私の扉を叩き
彼女を求め 絶望して 去って行った。
彼女を まともに見たものは 一人もない。
そして彼女は 一人寂しく
あなたが認めて下さるのを 待っているのです。
67
あなたは大空であり、あなたはまた巣である。
おお美しいものよ!� ��巣の中では
魂が 色と 音と 香りで 包まれている。
それが あなたの愛なのです
そこに 朝が 美しい花冠を入れた 金の篭を右手に もってやってくる
そしてしずかに 大地に花冠をささげる。
そこに 夕暮が道のない 小径を越えて
家畜の群の帰った ものさびしい牧場に
西の方 いこいの海から
金の水入れに 平和の冷たい水を入れて やってくる。
だがそこに 魂が天翔けり入ってくる
無限の空の拡がるところには
純白の汚れのない光輝が 支配する。
もはや そこには日もなく 夜もなく
形も色もなく そして言葉はさらにない。
68
あなたの 太陽の光は この地上に 両腕を拡げてくる。
そして一日中 わたしの戸口に 立っていて
わたしの涙と 溜息と� ��歌とで出来た雲を
あなたの 足もとへ 持ち帰る。
あなたは 楽しそうな喜びで 星のきらめく胸のあたりを
霧ふかい 雲のマントで 包まれる
すると 雲は無数の形や襞(ひだ)になり
たえず変る 色合をつける。
雲は軽く 素早く やさしく 涙もろく また暗い
だから あなたは雲を愛されるのだ
おお 汚れなく 澄みわたった御方よ。
だからあなたの恐ろしい 真白な光を 雲の悲しい影で被いなさるのだ。
69
ひるとなく 夜となく わたしの血管を流れる 同じいのちの流れが
世界をつらぬいて流れ 旋律にあわせて踊っている。
そのいのちが 喜びとなってほとばしり
大地の塵から 無数の草の葉を 萌え出させ
木の葉や 花々の騒がしい波を 立たせる。
そ� �いのちが 生と死の海の 揺りかごのなかに
満ちたり引いたりしながら揺られている。
このいのちの世界にふれて 私の四肢は 栄光に充たされる
そして私の誇(ほこ)りは いまこの瞬間に私の血のなかに踊っている
幾世代のいのちの 鼓動からくるのだ。
70
この旋律の歓びを よろこぶことは
あなたには できないことでしょうか?
この怖ろしい 歓びの渦の中に
投げこまれ とけこみ 砕けることは。
あらゆるものは突進し 止まらない
後をふりかえるものもない。
どんな力も 彼らを
止めることは出来ない
あらゆるものは 突進するのだ。
あの絶え間ない 急速な 音楽に合わせ
季節は 踊りながら来ては 去って行く――
色 音 香りは ゆたかな喜びに は� ��もない滝となり
一瞬毎に散乱し 落下し 消えて行く。
71
わたし自身を 大切にし あらゆる方面に展開し
あなたの 光輝の上に 色彩(いろどり)ゆたかな影を 投げる
――それが あなたから与えられた運命だ。
あなたは ご自身の存在に 棚をもうけ
ご自身の分身を 数かぎりない音調で 呼ばれる。
このあなたの分身が 私のからだに 現われた。
色さまざまの涙と 微笑 驚愕と 希望の中に
大空を貫く 鋭い歌が 反響する。浪は脹らみ またくだけ
夢は破れ またむすぶ。私の中で あなたは ご自身をうち敗る。
あなたの 張りめぐらした帳(とばり)には
夜と昼の刷毛をもって 無数の形が描かれる。
そのうしろに あなたの席は 味気ない直線は みな捨て� ��
驚くべき神秘の曲線で 織りなされている。
あなたと私の 大いなる舞台が 空に拡がっている。
あなたと私の音楽で 空気は みぶるいしている。
あなたと私の かくれん坊で
すべての時代は 過ぎて行く。
72
もっとも おくふかく いますもの
その深い神秘の 接触をもって
私の存在を 目覚めさせるのは あの方です。
この眼に 魔法をかけ わたしの心の琴線を
よろこびと苦しみの さまざまな旋律で
嬉しげに 奏でるのは あの方です。
金と銀 青と緑の 淡い色で 運命の網をあみ、
その折り目から 足をのぞかせ
それにふれて 我を忘れさせるのは あの方です。
日々は来り 時は過ぎ去る けれどいつも私の心を
さまざまの名に さまざまの装いに� �感動させ
喜びと 悲しみに 夢中にさせるのは あの方です。
73
私にとって救いは 世を棄てることにはない。
私は喜びが かぎりない 束縛をもつなかに
自由の抱擁を感ずる。
あなたは さまざまの色と香りの あなたの新鮮な酒の盃を
いつも私に 注いで下さる
この土の器に 溢れるまでに。
私の世界は あなたの焔で
幾百もの ちがうランプに 火をともし
あなたの寺院の 祭壇の前に置くだろう。
いや 私は決して 感覚の扉を閉めますまい
見たり聞いたり 触れたりする喜びは
あなたの喜びを つたえることですから。
そうだ 私のあらゆる幻影は
喜びの光明の中に 燃えるだろう
私の望みは 愛の果実となって みのるだろう。
74
日は暮れて
影が 地上を蔽いました。
流れに行って
わたしの水がめを 充たす時です。
夕暮の 大気は 水の悲しい 音楽(しらべ)に 聴き入っています
ああ それは 私を夕闇のなかへ 誘い出します。
寂しい小路には 通る人もなく
風は立ち 流れには さざ波が 踊っています。
わたしは 家に帰るのかどうか わかりません。
誰にめぐり逢うのか わかりません。
あの渡し場の 小舟の中で
誰かが 琵琶(リュート)を奏でています。
75
あなたの恵みは わたしたち 生きとし生けるものに
すべての必要を 充たされます。
しかも少しも減ることなく そのまま あなたに還って行きます。
河は日毎に なすべき業をなして
畑や小さな村を 足早に 過ぎて行きます。
し� �も その絶え間ない流れは うねりくねって
あなたのみ足を 洗っています。
花はその香りで 空気を甘くします。
しかも その最後のつとめは
あなたに 自らを捧げることなのです。
あなたへの礼拝は この世を貧しくはしないのです
詩人の言葉から 人々は好きな意味をとります
しかもその最後の意味は あなたを指しているのです。
76
来る日も 来る日も わたしのいのちの主よ
あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。
合掌して すべての世界の主よ
あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。
孤独と沈黙の あなたの大空の下に つつましやかに
あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。
あなたの労苦なされた この世� ��
労働と 闘争の 騒がしさに
忙しい 群衆の中に あって
あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。
そして 私のこの世の仕事が 終ったら
王の中の王よ ただ一人 言葉なく
あなたのみ前に あなたとむかいあって 私は立ちます。
77
私はあなたが 神であると知って 離れています
私はあなたが私のものであることを知らずに 近づいて行きます。
あなたは わたしの父であることを知って わたしはみ足の前に額づきます
私はあなたのみ手を 友の手をとるように握りません。
あなたが降りて来られて
ご自身を 私のものであるとおっしゃる所
あなたを私の胸に抱き あなたを私の友とする所に 私は立ちません。
あなたは 私の兄弟の中の兄弟です。しかし私は 兄弟たちに かまわず
得たものを 兄弟に分けてやらず
こうしてすべてを あなたと 分ちあいます。
楽しいときや 苦しいときに 私は人々の側に 立ちません。
こうしてあなたの傍に 立つのです。
私は生命を捨てることを ためらいます
それゆえ こうして大いなる生命の海に 飛び込まないのです。
78
創造が新しく あらゆる星が 最初の輝きで きらめいていたとき
神々が 空で会議をひらき そして歌った
「おお完全な絵巻物よ! まざりけのない喜びよ!」
しかしそのとき 一人が急に 叫び出した
「光のくさりに どこか 破れ目があって
星が 一つなくなったようだ。」
黄金の竪琴の絃(いと)が切れ 歌は止み あわてふためいて 神々は叫ん だ
「そうだ あのなくなった星は 一番よい星だった。
あれは すべての天界の栄光だった!」
その日から その星の探索は やすみなく
その星のために 世界はたった一つの喜びを失ったと
一人から一人へと 叫びが伝わって行った。
けれど 夜の一番深い静けさのなかで 星達は 微笑み交わし
たがいに囁き合っている 「探したって 無駄なことだ!
破れ目のない完全が 全存在の上にあるんだもの!」
79
あなたに お逢いすることが
この私の一生の 運命でないならば
あなたのお姿を見失ったことを いつも感じさせて下さい。
一瞬たりとも 忘れさせないで下さい。この悲しみの苦悩を
夢の中でも 覚めた時にも 持ち運ばせて下さい。
私の日々が この世の混雑した 市場の中で過ぎ
私の手が 日々の利益で 充たされてくるにつれ
私は何も得ていないことを いつも感じさせて下さい。
一瞬たりとも 忘れさせないで下さい。 この悲しみの苦悩を
夢の中でも 覚めたときにも 持ち運ばせて下さい。
疲れ 喘いで 路傍に坐るとき
床(とこ)を塵の中に 拡げるとき
永い旅路が まだ前にあることを いつも感じさせて下さい。
一瞬たりとも 忘れさせないで下さい。この悲しみの苦悩を
夢の中でも 覚めたときにも 持ち運ばせて下さい。
私の部屋が飾り立てられ
笛が鳴りわたり 高笑いが聞えるとき
私はあなたを 私の家に招いたのではないことを いつも感じさせて下さい。
一瞬たりとも 忘れさせないで下さい この悲しみの苦悩を
夢の� ��でも 覚めたときでも 持ち運ばせて下さい。
80
おお 永遠に 輝くわたしの太陽よ 私は空にむなしく漂う
秋の雲の 残りの一片のようなものです。
まだ あなたのみ手がふれて 私の水滴を溶かし
あなたの光と 一つにして下さらないので
私はあなたから離れて 月と歳とを 数えています。
もしこれが あなたの望みであり
もしこれが あなたの遊びであるなら
私のこのはかない空虚を とり上げ
色をつけ 金色を塗り 気ままな風に 浮かべて
様々の不思議な姿に 拡げて下さい。
そしてまた もし夜になってから
この遊びを終るのが お望みならば
私は闇の中に溶けて 消えましょう。
または 白々と明ける 朝の微笑みのなかに
すきとおる清い 涼しさのなか� � 消えましょう。
81
いくたびとなく 無為の日に 私は失われた時を 悲しんだ。
けれど主よ それは失われたのではありません。
あなたがみ手のなかに 私の生涯の 一刻一刻を
お取りになって 下さったのですから。
あらゆる物の なかにかくれて
あなたは種から芽を 蕾から花を
花から果実を はぐくまれます。
私は疲れて 無為に眠り あらゆる仕事は 中止になったと 思いました。
朝になって 目を覚ましてみると
私の庭は 花の奇蹟で 一ぱいでした。
82
主よ 時はあなたの み手のなかでは 終りがありません。
あなたの分秒を 数えるものは居りません。
ひるもよるも過ぎてゆき 時代は花のように咲いて また色あせてゆきます。
あなたは待つことを� �知って居られます。
あなたの世紀は 次から次へと進み
一つの小さな 野の花を 完成します。
わたくしたちは 余分の時を持ちません
そして時を 持たないから
機会を つかむために 我勝ちに争います
貧しいので ぐすぐすしては いられません。
こうしてうるさく求める人には 誰にも時間を 与えている間に時は過ぎ
あなたの祭壇には しまいまでささげ物は 参りません。
一日が終り 私はあなたの門が 閉まるのではないかと急ぎます。
しかし きてみて まだ時があったのに 気づくのです。
83
母よ わたしの悲しみの涙で
あなたに 真珠の首飾りを あみましょう。
星は光の 踝(くるぶし)飾りで あなたのみ足を飾りました。
でも わたしのは あなたのみ胸に かけて下さい。
富と名誉とは あなたから来ます。
それを下さるのも 取上げるのも あなたです。
でも この悲しみは まったくわたしのものなのです。そしてこれを
あなたに捧げものとして みまえに もってくるとき
あなたは 慈愛を わたしにむくいて 下さいます。
84
離れている 孤独のかなしみが 世界中に拡がり
無限の空に 数かぎりない形を 生れさせている。
離れている 孤独の悲しみが 終夜黙って 星から星をみつめ
七月の雨の闇に 音立て� �鳴る 木の葉の詩(うた)となる。
どこまでも拡がるこの痛みこそ 深まって愛となり 願いとなり
人々の家庭の 苦しみとなり 喜びとなる。
そしてこれこそ 私の 詩人の魂をとおして
つねに歌となり 溶けて流れる。
85
戦士たちが 最初に主の家を 出てきたとき
その力は どこにかくして あったのだろう?
鎧や武器は どこにかくして あったのだろう?
彼らが 主の家を出た日には
彼らは 貧弱に力なく見え
彼らの上に 矢は雨と降った。
戦士たちが 主の家に 凱旋した時
その力をどこに かくしてしまったのだろう?
彼らは 劔を捨て 弓矢を捨てた。
平和が 彼らの額の上にあった。
彼らはいのちの果実を 背後にのこしていった
彼らが 主の家に 凱旋した日に。
86
あなたの み使いである死が
私の戸口に来た。
未知の海を越え わたしの家へ
あなたのお召しを 持っ� ��来た。
夜は暗く 私の心はおびえている――
けれど 灯を手にとろう。
門を開けて み使いを招じ入れよう。
わたしの戸口に立つ人は あなたのみ使いなのだ。
手を合わせ 涙を流し
み使いに 礼拝しよう。
私の心の たからものを
その足もとに 捧げて 帰って行くだろう
私の朝に 暗いかげを残して。
寂しくなった私の家には
あなたへの最後の ささげものとして
さびしい 孤独の自我が のこされるだろう。
87
望みのない願いで わたしは彼女を
部屋の隅々まで捜し求めるが
どこにも 彼女は見えない。
わたしの家は小さく
一たび この家から失せたものは
二度とかえってくることはない。
主よ でもあなたの家は 限りなく広い。
わたしは彼女を捜� �求めて
あなたの戸口に やって来ました。
あなたの夕空の 金色の天蓋の下にたち
わたしは 一心に瞳をあげ
あなたのお顔を 仰ぎます。
わたしは何一つ失せることのない
永遠の岸辺にきました――
ここでは希望も 幸福も
涙ながらにみた 顔かたちも 消えることはありません
おお うつろな さびしいいのちを 大海に浸し
その底の 豊かさの中に 沈めて下さい。
あの失われた やさしい感触を
この宏大な 宇宙の中に 今一度感じさせて下さい。
88
荒れはてた寺院の神よ!
七絃琴(ヴイナ)の切れた弦は おまえの讃歌を もう奏でない。
夕べの鐘は おまえの礼拝の時を告げない。
空気は おまえのまわりに 動かず黙っている。
おまえの 荒れ果てた住居に
気紛れな 春風が入ってくる。
それは花の音信を 持ってくる
けれど 花はもうおまえの礼拝に 捧げられることはない。
昔からの おまえの礼拝者は
拒まれてもなお 恵みを願ってさまよう。
夕べになって 灯火と影が 塵埃の暗さと混るころ
彼は疲れ 心飢えて 荒れはてた寺院に 帰って来る。
荒れ果てた寺院の神よ 祭りの日は いくたびもおまえには ひっそりと来る。
礼拝の夜が いくたびも 灯もともさずに 去って行く。
数々の新しい神像が 巧みな工匠の手に作られ
その時が来ると 忘却の聖い流れにのせられる。
荒れはてた寺の 神のみ 礼拝を受けることなく
死もなき 放棄の中に いつまでも残される。
89
やかましい 大きな声は もう出すまい
それが わが主のみ心なのだ。
これからは 私は囁きで 言おう
私の心の言葉は 歌の囁きで言おう。
王様の市場へ 人々は急ぐ
買う人 売る人 みんなそこにいる。
だが 私は 日のさなかに 時ならず
仕事の最中なのに 帰ってくる。
まだ その時では ない� �れど
花よ わたしの庭に 咲き出しておくれ。
真昼の蜂よ 歌っておくれ
ものうげな その歌を。
善悪の争いの中に 私は多くの時を 費した。
けれど いまは空しい日々の 遊び相手が
私の心を ひきつけるのを喜ぶ。
そして役にも立たないこの矛盾
なぜこんなに 突然 呼ばれたのか
わたしは知らない。
90
死が お前の扉を 叩く時
お前は 何をささげるのか?
おお 私はそのお客の前に
わたしの生命をみたした器を ささげましょう――
決して 空手では かえしません。
わたしの秋の日と 夏の夜の
甘いぶどうのとり入れと
いそがしい生涯の すべての収穫と 落穂とを
その前に 並べてささげましょう。
私の生涯が終って 死がわたしの扉を 叩くと き。
91
おお お前 生の最後の完成 死よ
わたしの死よ わたしに来て 囁いてくれ!
わたしは来る日も 来る日も お前を待ちうけ 見張っていた
お前のために 世の苦しみも 喜びも 堪えて来た。
わたしのすべての存在 所有 のぞみ 愛は
いつもお前に向って 秘かな深いところで 流れていた。
お前の眼からくる 最後の一べつによって
わたしのいのちは お前のものとなるだろう。
花は編まれ 花環は 花婿のために 用意された。
結婚の式がすめば 花嫁は家をあとにし
夜のしじまに ただ一人 花婿に逢うであろう。
92
この地上で もうわたしは 見えなくなり
沈黙の中に 生は立ち去り
わたしの眼の上に 最後の幕がひかれる――
そういう日が来ること を 私は知っている。
だが星は 夜を見守り
朝日は 常のように昇る。
時は 海の浪のように 盛り上り
喜びと 苦しみを 投げつける。
この最後の瞬間を 思うとき その瞬間の仕切りは やぶれ
死の光によって わたしはみる
失ううれいのない 宝にみちた あなたの世界を。
そこでは どんな低い座席でも すばらしく
どんなに卑しい 生命でも すばらしい。
あこがれ求めて えられなかったものも
手に入れることのできたものも――みな消えてゆくがよい
けれど かつてしりぞけたもの 見のがしていたものを
真に 私に持たせてください。
93
わたしは行かねばならない。
お別れをしよう 兄弟たち
みんなに おじぎをして わたしは去って行く。
ここに 私� ��扉の鍵を返そう
わたしの家の すべての権利を おまかせしよう。
ただみんなから 最後の
やさしい言葉が聴きたい。
わたしたちは 永い間隣人だった。
だがわたしは さし上げるより 頂くばかりだった。
朝がきて わたしの暗い部屋を てらす灯は 消えた。
お召は来た。わたしは旅立つ 用意ができた。
94
いま わたしの別れのときに 友だちよ
わたしの幸運を祈ってくれ!
空は 暁の光に輝き
私の行く道は 美しい。
そこへ行くのに 何を持って行くかと
訊ねてくれるな。
私は 空っぽの手と
期待の心をもって 旅に出る。
私は結婚の花冠を つけよう
私が着るのは 旅人の赤茶の衣ではない。
行く道に 危険があろうとも
わたしの心には 恐れはない� ��
わたしの旅が 終えたなら
宵の明星が 光り出よう。
夕やみの 調べの悲しい曲が
王様の門から 聞えて来よう。
95
いのちの しきいを越えて
初めて この世に来たときを
私は知らなかった。
この広大な 神秘の中へ
真夜中の森の 一つの蕾のように
わたしを誕生させた力は 何だろうか!
暁の光を 見上げたときすぐに
わたしはこの世の よそ者でなく
名前も形もない 不思議なものが
わたしの母の姿となって
その腕に わたしを抱きあげたことを知った。
それと同じように 死に当っても
前から わたしを知っていたように
あの知られないものが 現れるだろう。
わたしは この生を愛するゆえに
死をも また愛するように なるだろう。
赤児は 母 が右の乳房から 引き離すと泣くけれど
すぐに 左の乳房を あてがわれて 安心するのだ。
96
ここから わたしが立ち去る時
わたしの別れの言葉に こう言わせて下さい。
わたしが 見てきたものは
たぐいなく素晴らしいものでしたと。
わたしは 光の海に 拡がる蓮の花の
秘められた蜜の 甘さを味わい
わたしは こんなに祝福されました――と
これを わたしの別れの言葉に させてください。
数限りない形を そなえた この劇場で
私は 劇を演じてきました。
そしてここに形のないものの
姿を見ることが出来ました。
触れることの出来ないものの手に 触れられて
わたしの体も手足も喜び踊りました。そして
ここに終りがくるものなら 終りとなるがよい
これ� �� わたしの別れの言葉に させて下さい。
97
あなたと一しょの芝居を していたとき
わたしはあなたが誰だか 尋ねもしませんでした。
わたしは 恥ずかしがりもせず 恐れもせずに
わたしの生涯は にぎやかでした。
朝早く あなたは友達のように
わたしを眠りから 呼びさましました。
そして林の中の 空地から空地へと 走らせ
わたしを導いて 下さいました。
あなたがわたしに 歌った歌の意味を あの頃の
わたしは 知ろうともしませんでした。
ただわたしの声が 調子をとり
わたしの心は 歌につれて 踊ったのでした。
遊ぶときが 終った今 私の上に
急に現れたこの光景は 何ごとでしょう?
世界はあなたの足もとに 眼を伏せて
黙りこくった星と一しょ� �� 畏れて立つのみであります。
98
わたしの 敗北のしるしに あなたを
トロフィや花環で 飾りましょう。
敗かされずに のがれることは
わたしの力の限りではありません。
確かにわたしは 知っています わたしの誇りは 壁に突き当たり
わたしのいのちは たまらない苦しみに 縫目を破り
空っぽの心は うつろな芦の笛のように すすり泣き
石は涙に溶けるでありましょう。
確かに わたしは知っています
蓮の数百の花弁は
いつまでも閉されたままにあるのではなくて
その蜜を秘めた壷も いつかは
白日にさらされるでありましょう。
碧い空から 一つの眼が わたしを見つめ
沈黙の中に わたしをお召しになるでありましょう。
何も 何ものも わたしには残され� ��
み足のもとに 絶対の死を 受けとることでありましょう。
99
わたしが舵を捨てるとき わたしは知っています、
あなたがそれを 取り上げるときが来たのだと。
なさるべきことは 一瞬にして なされるでありましょう。
この争いは 無駄なことです。
それならば わが魂よ お前の手をのけて
お前の敗北を 忍びなさい。
そしてお前が 置かれた所に
静かに 座っていられることを
幸せであると 考えなさい。
風が わずかに そよぐたびに
わたしの小さなともしびは 吹き消され
またしても またしても 火をつけようと
わたしは ほかのことを すっかり忘れてしまいます。
だが 今度はあやまたずに ござを床(ゆか)に拡げ
暗(くら)やみの中で 待っていま� ��ょう。
おお 主よ いつでもみ心のままに
黙ってここに来られ
あなたの席を おとりください。
100
わたしは 深く水にくぐる
形あるものの 大海原に
形なきものの 完全な真珠を得ようとして。
風雨に叩かれた この船で
港への航海は もうやめましょう。
波頭に打ち上げられるのを 楽しみとした日は、
もう遠く去りました。
そして今 私は死を切に願います 死なきものとなるために。
底の知れない 渕のかたわらの
音なき絃の音が 盛り上る音楽堂に
わたしは いのちの竪琴を とりあげましょう。
永遠の楽の音に 調子を合せ
その最後の すすり泣きの音が 終ったら
わたしの音なき竪琴を
沈黙の足もとに 捧げましょう。
101
わたしは一生の間 歌をもって
あなたを さがし求めてきたのです。
戸口から戸口へ 私を導いてくれたのも 歌でした。
歌で わたしのまわりを まさぐり
わたしの世界を探し 触れたのでした。
わたしが学んだことは みんな
歌が教えてくれたものです。
歌は 秘密の小道を 示してくれました。
わたしの心の 地平線のうえに 数々の
星を 見せてくれたのも 歌でした。
歌はわたしを一日中
喜びと 苦しみの国の 神秘へ導きました。
そして最後に 旅の終りの 夕暮れに
なんという 王宮の門の前に
わたしを案内したことでしょう?
102
わたしは人々の中で あなたを知っていると自慢しました。
人々は わたしのあらゆる作品の中に あなたの姿を見ました。
人々は来て訊ねます 「この人は誰?」
わたしは何と答えてよいか わからないのです。
わたしはいいます「実は言えないんですよ。」
人々はわたしを非難し 嘲笑して去って行きます
そして あなたは微笑んで そこにすわっていられます。
わたしはあなたの物語を 長く続いた歌にしました
秘密が わたしの胸から ほとばしり出ました。
人々は来て訊ねます「その歌の意味は?」と。
わたしは 何と答えてよいか分からないのです。
わたしはいいます「ああ 誰にこの意味が 分るでしょう?」
人々は微笑し 軽蔑し切って 去って行きます
そしてあなたは微笑んで そこにすわっていられます。
103
おお 神よ あなたへの ただひたすらな礼拝によって
わたしの あらゆる感覚を拡げ
あなたの み足のもとで この世界に 触れさせて下さい。
七月の雨雲が まだ降らさない夕立の重さに 垂れるように
わたしの心を あなたの扉の前で ひざまづかせてください
あなたへのただひたすらな礼拝に。
私の歌の さまざまな節を 一つに集めて
一つの流れのように 沈黙の海へ 流れ入れさせてください。
あなたへの ただひたすらな礼拝に。
夜も ひるも 山の巣をしたって 飛んでかえる鶴の群のように
わたしの全生涯の 船の旅を
永遠のふるさとに 向わしめてください、
あなたへの ただひたすらな礼拝に。
■底本:「タゴール詩集/新月・ギタンジャリ」アポロン叢書、アポロン社:1967(昭和42)年5月15日発行
■入力・校正・背景画像:LINDEN/2003年6月3日作成/2011年12月19日修正
■本作品は訳者の著作権存続中です。このファイルは著作権継承者の許諾のうえ、作成・公開されました。
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